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2009年1月のアーカイブ

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  1. 2009/1/31 (土) 12:26

    おうち忘れて おうち忘れて お家(うち)忘れた 子ひばりは 広い畑の 麦の中 母さんたずねて ないたけど 風に穂麦(ほむぎ)が 鳴るばかり お家忘れた まよいごの ひばりはひとり 麦の中 お山の狐は なかぬけど 暮れてさみしい 月あかり 鹿島鳴秋作詞・弘田龍太郎作曲 大正11年 前回の浜千鳥と同じように 親を探す小鳥の歌です。 悲しさといえば、こちらのほうが広々とした世界の中で迷子になった子供の雲雀が母親を探すけれど、母親は見つからずといった 歌詞ですから幻想的な浜千鳥に比べたらずっと悲しい歌詞に感じます。 この歌を聴くと私は迷子の子供ではなく捨てられた子、虐待死した子、掻爬された「水子」を連想してしまいます。 今も昔もいつの時代でも幼い子供というのは受け身です。親にどんな理由があったとしても、暗闇の中で一人で死んでいく、それでも母親を捜し求めて泣き続ける子供の無念さを感じてしまいます。 沈んでしまうような歌ですが、私はこの歌が好きなのでよくくちずさんでいました。

    マヤ 
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  2. 2009/1/29 (木) 22:25

    浜千鳥 浜千鳥 青い月夜の 浜辺には 親を探して 鳴く鳥が 波の国から 生まれでる 濡れたつばさの 銀の色 夜鳴く鳥の 悲しさは 親を尋ねて 海こえて 月夜の国へ 消えてゆく 銀のつばさの 浜千鳥 大正八年 作詞:鹿島鳴秋、作曲:弘田竜太郎 有名な童謡ですが ワルツの曲調に物哀しげで幻想的な歌詞で、その時代を生きてない人でも 「大正ロマン」という言葉を感じさせる童謡の代名詞ではないでしょうか。 この歌詞は作詞者の夭逝した娘さんを思って作ったという説がありますが、これは時代的にも合わないので (この歌が誕生したときにはまだ娘さんはご存命でした) この説は間違いです。しかしそんな説が生まれたのもこの歌詞の物悲しさから来たものと思われます。 親を探すということが歌詞に含まれているのである種の物悲しさを感じますが、それよりも 「青い月夜」「波の国」「月夜の国」「銀のつばさ」といった幻想的で綺麗な表現に童謡という世界の美しさや儚さ、想像性を感じさせるのでそちらの世界観に私は幼い頃感動していました。 同じく鹿島鳴秋作詞、弘田竜太郎作曲の歌で似たような親を探す小鳥の歌である 「おうち忘れて」という歌が存在しますがこちらの歌詞のほうが切なくてさびしい歌です。 その歌は次回紹介します。

    マヤ 
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