2025年4月23日 (水) 21:58
青春リセットボタン「学校非適合者」
定時制高校は、中学や全日制高校で、落ちこぼれた人が集まる。 昼の学校は、とても窮屈な場所だ。 学校のルーツは、明治時代の富国強兵で、 国という大きな機械を動かすための工業部品を作るための場所。 しかし、人間は、機械部品のように均一ではない。 45分間、じっと座ってられない人、 どうしても朝が起きれない人、 勉強が嫌いで、仕方がない人… しかし、彼らにも、一つくらいは、良いところがあるはずだ。 たまたま学校という場所が合わなかっただけで、 定時制高校の同級生には、何かしらの能力な特化した人が多い。 プロゲーマーとして、スポンサーがつくほど、ゲームが上手い人、 トレカの価値を一瞬で言い当てられるほど、 トレカに詳しいオタク、 宝塚歌劇団のバックミュージシャンを担当するほど、バイオリンが上手なバイオリニスト… これだけ魅力的な要素があるのに、 昼の学校では、学校に適合できないだけで、ダメ人間のレッテルを貼られる。 私は、忘れ物が多すぎて、 昼の学校では、ダメ人間として扱われていた。 プレゼンをさせたら、学年一位を取るほど、プレゼンがうまくて、 北新地の音楽バーで、司会を任せられるほど喋りが得意。 読書感想文を書けば、いつも何かしらの賞を取るほど文章も得意だ。 ピアノだって弾けるし、学校の成績も悪くない。 しかし、忘れ物が多いというだけで、ダメ人間扱いされる。 定時制高校には、ダメ人間として扱われすぎて、 自己肯定感がズタボロになっているような子も少なくはない。 私は、周りになんと言われようが、 自分の存在を肯定することをやめなかった。 学校という場所が、自分に合わないだけで、 社会に出れば、何かしらの形で、評価してくれる人が現れるはず。 忘れ物が多いなら、IT機器などで対策できる仕事を選べばいい。 社会に出れば、忘れ物が多いことなど、 大した問題にはならない。 社会で生きるために必要なことは、学校が勝手に決めた規範を守ることではなく、 人の苦しみを取り除き、楽を与えることだ。 人は、そういう人間に、価値を感じて、 給与という名の「布施」を支払う。 人の苦しみや楽しみは、多様だ。 仕事を辞めたいけど、言いにくい人は、 退職代行に価値を感じるだろうし、 ゲームを見るのが好きな人は、スポンサーになってまで、 推しのゲーマーを応援しようとする。 だから、定時制には、学校非適合でも、 社会で難なく生きている人がたくさんいる。 しかし、学校は、人に価値を与える方法はおろか、 人に価値を与えることが、生きる術であるということすら教えない。 確かに、規範を学ぶことも、社会で生きるのに、必要なことではあるが、 私は、学校が教える規範にすら、疑問を感じている。 規範というのなら、なぜ、いじめっ子が普通に生きて、 いじめられっ子が転校しなければならないのか? 学校は、国の最高法規である憲法すら守らない人間を野放しにしているのが現状だ。 大人の世界で、人を殴れば暴行罪、傷害罪、 悪口を言えば侮辱罪、名誉毀損罪。 悪質なケースであれば、刑事事件にして、相手を社会的に殺すのもアリ、 民事事件にして、相手から金を巻き上げるのもアリ。 法治国家では、法律が、自分の身を守る盾になる。 しかし、子供の世界では、子供のやることだからといって、矮小化されがちだ。 いじめの犯人を見つけて、大人が謝らせたとしても、 いじめはなくなるどころか、火に油を注ぐ結果になるのが相場だ。 「ごめん」で済まないから、警察が必要なのである。 人間が人間である以上、いじめは無くならない。 いじめをなくすよりも、いじめに遭遇したときに、 どう対処するのかを学ぶ方が建設的だ。 これは学校のみならず、社会でも同じだ。 社会人をやっていると、パワハラ上司や、 嫌なお局さんに遭遇することもある。 もしも、学校で、いじめに対する対処法を学んでいれば、 理不尽から身を守ることができるだろう。 憲法違反を「ごめん」で済ませようとする学校が、規範を教えるなんて、笑わせる。 そんな場所で、ダメ人間だと言われても、気にするな。 むしろ、学校の方が異常な場所であり、 適応できなかったところで、何も問題はない。 たまたま学校という場所が合わなかっただけで、 チミたちが、無理せず生きられる場所はたくさんある。