8/3 (日) 12:31
楽園のディストピア
私は、動物や人間の行動を研究する実験が好きだ。 動物や人間の行動についての研究をまとめた書物は面白い。 今回のテーマは、ユニバース25という実験だ。 十分な食料、水、住居があって、 疫病や天敵がない楽園に、ネズミを住まわせたら、どうなるのか? 研究者は、ネズミの飼育に最適な環境を用意し、8組のつがいを放した。 最初は、指数関数的に増えていたネズミも、 600匹を超えたあたりで、人口増加率が鈍化する。 数が増えると、格差が顕在化し始めた。 オスの勝ち組マウスは、広い領土と、多くのメスを独占し、 オスの負け組マウスは、狭いエリアに密集する。 十分な土地があるにも関わらず、だ。 これを人間社会に例えるなら、ドバイの王族と、団地住まいの貧困層だろうか? メスは、ドバイマウスに見染められたセレブネズミと、 団地ネズミとしか結婚できなかった非モテネズミに分かれる? セレブネズミは、ドバイネズミの庇護を受けることで、子育てに専念することができる。 一方で、ドバイネズミに選ばれなかったメスは、無能なオスの代わりに、戦うようになり、凶暴化した。 皮肉なことに、非モテの女ネズミは、 子育てのストレスから、育児放棄をしたり、 我が子を虐待するケースが増えた。 母親から十分な愛情を受けずに育ったネズミは、のちに社会非適合者と化す。 社会非適合者となったネズミは、発情期になっても、メスを誘惑する方法がわからない。 メスにつきまとうストーカーネズミ、 未成熟のメスを狙うロリコンネズミ、 性成熟期を迎えても、早々に競争社会から離脱し、 メスや領土のために争わないニートネズミ… やがて、ネズミ社会の治安は悪化し、 ドバイネズミにまで、影響を及ぼすようになった。 最終的に、生き残ったのは、争いを好まないニートネズミ。 やがて、少産多死社会に移行し、檻の中のネズミは滅亡した。 …檻の中のネズミの世界は、未来の人類の姿か? 非常に興味深い実験だ。
8/2 (土) 23:09
家庭科の洗脳
家庭科といえば、料理や裁縫を学ぶ科目だが、 今時の家庭科は、選択的夫婦別姓やLGBTなど、 家庭のあり方を問うような内容が盛り込まれている。 家庭科の教科書は左寄りだ。 夫婦別姓やLGBT法案のメリットばかりを語り、デメリットは語らない。 ゆえに、勉強熱心な真面目な生徒ほど、左寄りになる。 左寄りの政党が掲げるLGBT法案や、選択的夫婦別姓法案には、様々なリスクがある。 普通に考えて、体は男だけど、 心は女だから、女湯に入れてくださいという主張がまかり通る意味が分からない。 女性にとって、それがどれほど怖いことなのか? そんなことも想像できない人間が、女を自称する資格はない。 法律でLGBTの混浴を認めてしまえば、風呂屋は、多くの女性客を失うことになるだろう。 私は女だが、心が女であるというだけで、混浴が認められる風呂屋には行きたくない。 あるいは、海外のように、銭湯でも、 水着を着なければならない世の中になるかもしれないな。 銭湯で水着なんて、野暮な人種のすることだ。 水着を着たら、風呂の心地よさが半減する。 現状のLGBT法では、トイレや混浴についての変更はないが、 左寄りの人たちが提唱するLGBT法案が通れば、日本の古き良き風呂文化は衰退するだろう。 そもそも日本人は、LGBTに寛容な民族だ。 戦国時代は、武将と美少年がくっつき、 江戸には、美少年が春を売る陰間茶屋が存在した。 陰間茶屋は、現代の女性向け風俗店と、ウリセンを兼ねた店だ。 ※ウリセン=ゲイ向け風俗店。 記録は少ないが、大奥や吉原でも、 女性の同性愛者が存在したと言われている。 昔の日本人にとって、結婚は恋愛の延長線上に存在するものではなく、 家と家を繋げたり、後継者を産むための制度に過ぎなかった。 「結婚は社会的な制度、恋愛は娯楽」と割り切っていたのだろう。 同性婚が認められていないからといって、 LGBTが差別されていたわけではない。 歌舞伎の女形にしかり、美少年にしかり、 そういう生き物として受け入れられていた。 私から見れば、西洋の歴史の方が、LGBTに厳しいと思う。 同性愛者は、精神病だと言われて、恐ろしい手術を受けさせられたとか… 現代は、西洋が最先端であることを前提に物事を考えている人が多いが、 日本にも西洋より進んでいることが、たくさんある。 その代表例が戸籍制度だ。 戸籍は、家族関係を表すのに、非常に便利なものだ。 いわゆる人間版の血統書のようなもの。 戸籍謄本を取れば、自分のルーツが一目でわかる。 この制度を破壊したい人が、夫婦別姓を勧めていると指摘する学者がいる。 仮にも、今の日本で、選択的夫婦別姓を導入したら、大変なことになるだろう。 子どもが生まれたとき、夫婦別姓であれば、 どちらの姓を名乗るか、決めてから出生届を提出しなければならないが、 夫婦間で、争いになることは明白だ。 その場合、裁判所に決めてもらうらしいが、 裁判所は何を基準に、決めるのだろうか? 判決が出るまで、出生届が提出できないので、 無戸籍児が発生するリスクがある。 無戸籍の間は、行政サービスを受けることができない。 無戸籍による子どもの不利益と、 夫婦のどちらかが自分の氏を名乗れないことによる不利益を比較した時、 前者の方が大きいことは明白だ。 学校や医療機関等で、業務が煩雑化するリスクもある。 父親は鈴木さんで、母親は佐藤さん。 兄は鈴木さんで、妹は佐藤さん… 私も一応、医療業界で働いているので、 病院が混乱する未来は、想像できる。 …私の仕事が増えるから、やめて欲しい。 幼稚園や学校の先生も大騒ぎだろう。 母親が、お兄ちゃんのお迎えに来た時、 間違って「鈴木さん」と呼んだら、クレームになる。 病院では、面会の範囲を家族に限定していることが多いが、 別氏の場合、家族関係の証明が困難だ。 事故等で、判断に急を要する時、 家族関係の証明している間に、 家族が命を落とすリスクもある。 仮にも、自分が旧姓を名乗ったがために、 子どもや夫が命を落としてしまったら、 どんなに後悔しても、後悔しきれない。 私は、自分の家族が危険に晒されるリスクを負ってまで、 旧姓を名乗りたいとは思わない。 夫婦同姓について、ジェンダー不平等を主張する人がいるが、 どちらの姓を名乗るかは、当事者の判断に委ねられている。 どうしても嫌なら、夫が妻の姓を選べばいいだけの話だ。 話し合いで収集がつかないのなら、日本人らしく、ジャンケンで決めればいい笑 名前をジャンケンで決めたと言えば、いい話のネタになるだろう。 夫婦同姓に伴う不合理は、 高市早苗氏の熱心な活動によって、大部分が解消している。 彼女は、夫婦別姓に反対していて、 戸籍上の名前は、夫の姓で、高市姓は旧姓だ。 高市早苗氏が旧姓で活動しているように、 世間でも、旧姓使用が広く認められていて、 公的身分証の旧姓併記も認められている。 今更、夫婦別姓について、国会で議論する意味が分からない。 夫婦別姓論者の真の目的は、戸籍制度の廃止だと考える有識者が多い。 戸籍制度は、日本にルーツがあることを証明する便利な制度だ。 要は、犬や猫の血統書みたいなもので、 日本人は「日本人」という種の血統書がついているといってもいい。 戸籍を見れば、日本人とエセ日本人の識別が容易になる。 仮にも、戸籍制度の廃止によって、日本人であることの証明が難しくなると、 他国のスパイが、エセ日本人として、活動することが容易になってしまう。 実際に、日本は工作員にとって、最高に居心地の良い国だと言われている。 拉致被害者だと考えられる行方不明者の数は、900人近く。 そのうち、北朝鮮が認定しているのは、わずか17人。 17人のうち、帰国できたのは、たったの5名で、残りの12名は帰れていない。 この現状を、よく放置できるものだ。 私が、拉致被害者の家族なら、国会議事堂にカチコミに行ってると思う。 戸籍制度があっても、この体たらくなのだから、 戸籍制度がなくなれば、この国はもっとダメになるだろう。 家庭科の授業では、夫婦別姓やLGBT法案のメリットばかりを語り、 リスクに関しては、一切、追及しない。 とてもじゃないが、それが公平な教育であるとは思えない。
8/2 (土) 4:27
猫に育てられた女
猫には、猫のルールがある。 一、パーソナルスペースを守ること、 一、不用意に追いかけたり、触ったりしない、 一、目と目があったらケンカの合図、 一、目があった時に、ゆっくりとまばたきしたら、それは猫からの愛情表現…など。 考えてみれば、当たり前の話だ。 愚かな猫好きは、猫を見つけるなり、 奇声をあげながら、猫を追いかけ回して、触ろうとする。 しかし、人間が同じことをされたら、 誰もが嫌な気持ちになるだろう。 それは、猫も同じだ。 猫と触れ合う時も、人間と関わる時と同じように接すればいいだけ。 何も難しいことはない。 私は、赤ちゃんの頃から猫と同居していた。 私には、猫のお姉ちゃんがいたのだが、 彼女は、私が危ないことをしようとすると、 止めようと必死になっていた。 私は、3歳くらいから、勝手に玄関の鍵を開けて、脱走を図る癖があったのだが、 家を出ようとするたびに、彼女は抵抗した。 猫は、動物の中でも、母性が強い生き物で、 か弱い生き物を見ると、庇護欲を掻き立てられて、お世話をしようとするらしい。 猫以外の動物に対して、母性を発揮することも少なくはないようだ。 私は、猫に育てられたようなものだ。 赤ちゃんの時から、姉さん猫の姿を見て、 猫社会のルールを学び、 小学校に上がる頃には、野良猫集会に招待されるほど、猫社会に溶け込んでいた。 都会の野良猫たちは、夕暮れ時に、開けた場所に集まって、猫集会をする習性がある。 猫集会と言っても、何か特別なことをしているわけではない。 数匹から十数匹の猫が、円を作り、 日向ぼっこをしたり、毛繕いをしたりして、 思いのままに過ごしている。 私も、猫集会の時は、猫のように振る舞う。 可能な限り、低い姿勢で歩き、一定の間隔を空けて、円を作る。 特に、何をすることもない。 ただ猫の様子を観察しながら、ぼーっとしている。 猫好きにとって、猫集会に呼ばれることは、この上ない幸せだ。 猫社会に認められたような気がして嬉しい。 猫社会に溶け込む経験をしたことで、 ずば抜けた環境適応能力を身につけた。 異種である猫の世界に溶け込めたのだから、 人間の世界で、溶け込めない世界はないはず。 どんな世界に行っても、郷に従う精神を忘れてはいけない。 ネイティブの考えを想像して、尊重し、ネイティブのように振る舞う。 それは、人間界を生き抜く手段であると同時に、自然界を生き抜く手段でもある。 猪に遭遇した時は、自分が無害な生物であることを全力でアピールする。 多くの動物にとって、目を合わせることは、喧嘩を売っているのと同じだ。 ヤンキーでいうところの「メンチを切る」感覚に近い。 急に動くと、猪がびっくりして、襲ってくるかもしれないので、 音を立てないように、ゆっくりと後退する。 そのうち、向こうから離れていくはずだ。 このように、相手の立場を考えながら行動する事が、新しい環境に適応する唯一の方法だ。